留年学生

留年してしまった理系大学生の奮闘記です。

空虚な自分

どうも、inarixです。

最近人生の先行きが不安すぎて辛いです。ここまでの人生、高校入試、大学入試が大きな山場だったわけですが、自分は難なく突破してきました。そして地元ではそれなりに有名な公立高校に通い無事国立理系大学に入学。これだけ見れば順風満帆。そりゃ自分にはある程度才能があるんじゃ無いか?と錯覚もします。実際自分はそう思っていました。周りに比べて努力といった努力もしてこないけど結果だけが付いてくる。今後もこんな感じでやってれば全部うまくいく。そう思っていました。けど現実はそう甘くはありません。結局自分のここまでの成果は、苦手なことから逃げ続け、得意なもの、どちらかといえば向いていることだけを突き詰めて横着し続けて手に入れたものだったからです。

たとえば公立高校に入学した際も、公立の試験の傾向は、基礎問題を正確に高得点を取るというもの。私立入試に比べて応用は必要ありません。つまり基礎さえ押さえておけばあとは当日の集中力、単純な過去問演習でなんとかなる脳死ゲー。この入試は僕にハマっていました。高校入試に対して興味もない僕は試験に対するプレッシャーが人一倍薄く、当日のミスも少ない。そして繰り返しから学ぶゲーム的要素は僕の得意とするところで、適当に毎日過去問を解いていたら当日も同じノリで合格できてしまったというわけです。

そして大学入試もほぼ同じ。センター試験というのは公立高校の入試に非常に似ています。基礎さえ押さえてあとは演習。そしてなにより大学入試は、6,7割で合格できます。つまり自分は苦手な科目、英語や化学や社会。これを全部捨て、当てずっぽで4,5割取り、得意(これは厳密には違う。やる事が向いているので努力をせずとも点が取れる科目、という事。この科目達が自分にとって得意科目でないことは大学で思い知らされた。)な科目、物理や数学で9割以上をもぎ取り、結果として平均を6,7割にならすという博打的な入試の受け方で合格をもぎ取った。これこそ入試に対する努力が薄いゆえの重圧のなさが可能にした結果である。努力や思い入れがないため成功するというのは皮肉なものである。

そして大学。自分は2留している。なぜこんなことになったのか、自分ではよくわかっている。それは一番は"コンスタントに努力ができないから"である。さらにいえば"勉強の仕方を、全く知らないから"である。自分は気持ちが入っている日でもない限り自分から机に向かうのは困難であるし、机に向かったところで誰かに教えてもらわなければ勉強することもままならない。中高生の頃は塾などのバックアップもあったし、先生に教えてもらいやすい環境でもあった。そしてなにより扱っている内容が簡単であった。これはつまりもともとその人間が持ちうる得意不得意でなんとかなるレベルなのであった。だが大学の勉強は才能でどうにかなるものではない。得意な人間も最低限努力をしなければいけないし、不得意ならなおさらだ。自分にはこのような能力が著しく欠如している。これはこれまでの人生、得意な事で苦手な事を隠し、改善しようとせず適当に横着に押し切ってきたからに他ならない。ここから挽回することの難しさは今、身をもって体感している。もしこの記事を自分と似たような境遇の人に読んでもらえたら自分はとても嬉しい。一定数自分のような学生は存在していると思うからだ。そしてお互い、なんとか今までの負積を払拭し、一人前の社会適合者となれる事を切に願う。

 

(読み返したら文体がめちゃくちゃですね。申し訳ありません。気持ちが落ち着いたらもう少しまとまった内容のものを書きたいです。)

気持ちの浮き沈み

こんにちは、inarixです。

今回は自分のことについて書きたいと思います。自分は現在理工系の大学に通っており、2留して現在4年目2年生と言うとんでもない状態なのですが、大学に入学して以降、さらにいえば2年目に留年してしまったあたりから精神的な浮き沈みが激しくなったような感じがしています。幼少期から中学生あたりまではネガティヴ思考気味ではありつつも生活に支障が出るほどではなく中学もちゃんと通っていました。高校では自分のネガティヴな部分に嫌気がさして来て、なるべくポジティヴに、前向きに気楽に生きようと心がけていた結果、3年間でかなり性格や基本姿勢に変化があったように感じました。友達との関わり方も、上手くなったような気がしていました。ですが、大学に入ってからというもの、授業に行かなかったり、行けなかったりすることが増えました。単純に怠惰な性格なので、今までも遅刻などは多い方だったのですが、それとは明らかに違い、目は覚めているのに布団から出ることができない、夜もなかなか寝付けないということが増えました。基本的にこういうことは試験前など、忙しかったりやることがたくさんある時に多いです。そして授業をサボったりしてしまい、そのことで自分を責め、また負のループへ沈んでいく。こんなことが増えて来ました。ですが自分としてはそういうことは周りにばれたくないし、周りの人はみんなちゃんとやってるのに自分だけこんな生活をしているわけにはいかない、とどんどん自分を追い詰めていってしまい、留年した後も大学に行けない日が続き、結果として2留しました。

今年は気持ちを入れ替え、部活も引退したので自由に使える時間が増えたため、大学にはコンスタントに通えるようにはなって来ています。ですがどうしても少し嫌なことがあったり、特に意味もなく気持ちが沈む日は未だにあります。そういう時に全てを一旦忘れてやりたいことをやったりできれば良くなるというのはわかっているのですが、課題や試験があるとそうもいかなかったりします。そこが大学の難しいところというか、自分には難しいと感じる部分でもあります。こんな性格と向き合って最近わかってきたことは、やはり追い詰められると辛くなってしまい何もしなくなってしまうので、なるべく余裕がある時にやるべきことをこなし、なるべく詰め込まないと言うことです。もともと怠惰なのでそれも難しいのですが、自分の欠点を補うためには変えていかないと行けない部分だと感じます。結局その気持ちの浮き沈みと怠惰な性格が合わさることにより、負のループを産んでいる気がするので、怠惰な部分を改善することにより、気持ちの浮き沈みがあると言う欠点を補えれば良いかなと思います。

また、留年した結果、自分と似た境遇の人にもたくさん出会い、自分だけではないんだと思うことができました。他人と比較して凹んでしまうことも多いので、なるべく他人がどうとかは気にしないように心がけています。

自分は鬱やADHDの傾向があるのかなと思うことが多いです。実際多少はあると思います、ですがそこまで重くはないと思うので、自分で向き合いながら解決していきたいと思います。今はだいぶ気持ちが沈んでいるので殴り書きのような文章になってしまいました。またいつかしっかりまとめて書きたいと思います。。では

仮面ライダーアマゾンズ season2 8話

今日の0時に公開されました、アマゾンズの8話を見たので軽く思ったことを書きます。

久々の仁vs悠

season1の主題歌である「Armor zone」がかかりアマゾンアルファとアマゾンオメガの戦いが繰り広げられるアツイ始まり方。season2の主役は千翼になっているのですが、結局仮面ライダーアマゾンズという物語の主軸はこの2人ですよね。結局アマゾンズというタイトルも複数形になっている通りアマゾンたちの物語であり厳密な主役みたいなのは存在していないのかもしれませんが僕は結局悠が主役なのかな、と思います。なのでseason2では悠はサブキャラ的な立ち位置なのに違和感を感じていましたが今回で解消されました。

悲しすぎる連鎖

今回は空白の5年間、そして溶原性細胞の出生がわかりましたね。仁さんが自分を失っている間に妊娠していた七羽さん。仁さんは最早本能のままに生きるような生物になっていました、そのシーンは狂気じみていて迫力ありましたね、、なんで治ったのかはわからないんですかね?普通に自然治癒?それか汚れていたものが出たと言っていたので結局七羽さんのおかげなんでしょうかね。(オブラートに包んだ表現)そしてイユのお父さんがアマゾン化したのもあんな理由だったとは、、、あそこで指を切っていなければ、あんな簡単に感染するとは恐ろしいですね。結局は仁の判断が人間全体を守るためには最適解だったということですよね。今回は仮面ライダーらしい回だったと思います。はたから見れば自分の子を殺そうとしている仁は悪役にも見えますが、実際は適切な行動なんですよね、最後はアマゾンである自分自身も死ぬつもりなわけですし。ただそれを飲み込めない悠やイユの父、人間臭い行動ではありますが結局それは人間を追い詰めて行く結果となります。仁さんの人間を守るためには人間を捨てなくてはならないという言葉も重いですね。

結局七羽さんがアマゾン化してそれを食べたのは千翼なんですかね?千の翼、それは親の七つの羽という数字+羽の名前から由来しているんでしょうか。それにしてもそんな愛情を持って育ててくれた親とそんな別れ方をする羽目になるとは、、、イユの父も結局千翼とイユを重ねた結果イユを失うことになるわけです。そしてその千翼とイユがああいう形で関わることになるのも複雑なものですね。

次回は

次回は千翼を危険だと判断した4cが千翼を幽閉するようですね。なんだか紫色になって言って何かに変化していましたがどうなるのでしょうか?次回も重い展開となりそうです。が、アマゾンニューオメガの登場は楽しみですね!

反省

どうもinarixです。

毎日記事を書くとか言ってながら相当間が空いていました。

明日からは短くてもいいのでまた毎日書いていきたいです。

どうも継続ということが苦手な性分なので、、そういうところを改善するためにも毎日投稿には気を使っていきたいと思います。

では

変わるもの 変わらないもの

こんにちは、inarixです。

 

昨日5月15日

 

アンジュルム2017年春ツアー「変わるもの 変わらないもの」最終日、武道館公演行ってきました!!!

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言いたいことは死ぬほどありますがとにかく最高でした。アンジュルムの集大成が込められている感じで、スマイレージ時代からの「変わるもの 変わらないもの」を提示してきてくれた公演でした。

 最近あんまりハロプロを追えてなかったんですが今回の公演に行くきっかけになったのはこのブログでした

http://ameblo.jp/angerme-ayakawada/entry-12264203558.html

「アンジュ見ないでどーする」と言われて観に行かないわけには行かない自分のオタク精神に感謝、、、

ほぼ予習なしで行ってしまったんですが、アンジュルムファン、もといオタクルムならある意味フラットな状態で楽しめる公演だったと思います。

・最初の映像でスマイレージのロゴが出てきて驚き、AとSのアルファベットが大量に出てきて、スクリーンにアンジュルムのロゴが出てきたと思ったらレーザーを使って立体的にロゴの輪郭が光り出し、アンジュルムのメンバーが登場!という一連の流れがまず最高。鳥肌立ちっぱなしでした。そして今回はレーザーが多用されていたイメージ。そして衣装がキラキラの光をよく反射するものでレーザーと相待ってとても綺麗でした。アンジュルムの輝きをより一層引き立てる演出でした。

・最初は新曲からスタート、アンジュルムの曲を中心に攻めるのかと思いきや、突然学校のチャイムが鳴り、何が始まるのかと思えば「ぁまのじゃく」、完全にやられた。ここで5期の笠原桃奈まで揃って、ぁまのじゃくを歌う姿になんか感極まって泣きそうでした。

・そのまま続いて「○○ がんばらなくてもええねんで!」ではステッキを使用。これもスマイレージ時代からの"変わらないもの"を感じさせて泣きそうになりました。

・そのあとは新曲「魔女っ子メグちゃん魔法使いサリーの時に3期がピックアップされてたのと似たような感じで笠原メインな曲。これは新しいメンバーが入ってきて、"変わるもの"の表現なのかと。とにかく振り付けが可愛い。

・中間MC、今回は一人一人のポリシーを発表しながら個人紹介という新たな試み(?)がありました。とりあえずりなぷーが最高。それぞれ曲のイントロが流れたので公園には組み込まれなかった曲も楽しめる良い試み。

・そのあとの「恋ならとっくに始まってる」は僕は知らなかったんですがめいめいのセリフ部分はあやちょに受け継がれたんですね。非常に良かった。

・そして「乙女の逆襲」この曲にはあいあいこと相川茉穂ちゃんのバレエシーンがあるのですが今回のツアーには活動を休止しているため不参加。どうするのかと思ったら残りのメンバーはダンスをしつつ演出のライトがあいあいのイメージカラーのグリーンに。この演出考えた人に感謝の気持ちを伝えたい。。。

・そしてVTR。今回は良い意味でアンジュルムっぽくないシリアスでミステリアスな雰囲気。これもある意味"変わるもの"なのかな?変わらない魅力を持ちつつも新たな面も出していけるという姿勢の表れに見えました。

・そのミステリアスなVTRからの「ミステリーナイト」の噛み合いが最高。そこからの「さよなら さよなら さよなら」「嗚呼 すすきの」の物悲しい選曲が最高。個人的な意見ですがアンジュルムは楽しい曲やかっこいい曲が多いですが悲しい曲の表現が秀逸ですね。特に普段はハロプロコメディリリーフ的なポジションなのに、悲しい曲になると雰囲気がガラリと変わる、そのギャップが凄まじいです。特に4期の上國料萌衣の憂いを帯びた表情が最高です。1期2期は特にスマイレージの低迷期を経験してるのもあって感情移入しやすいのかなとか勝手に思ったり、、、

・しんみりしたあとは「同じ時給で働く友達の美人ママ」「有頂天LOVE」で一気に開場が盛り上がる。この曲の並びはよく考えてあるなーと思いました。同じ時給で働く〜のりかこのセリフが良かったです(小並感)

・そのあとはMC、4人ずつに分かれて衣装の転換をしつつ、「このツアーで変われたこと」をテーマにトーク。一番印象的だったのがりかこの身長が伸びて165センチになったこと。でかすぎだろ、、、

・ここからクライマックス怒涛の展開

「大器晩成」「次々続々」「ドンデンガエシ」「出すぎた杭は打たれない」でフィナーレ。ここの勢いは本当にすごかった。次々続々でのオーロラビジョンが白黒になるのもgood。

・そしてアンコールは「私の心」なんとなくまろを思い出した。

・そしてラストのMC。かっさーは初武道館ということで、泣きそうになりながらもちゃんと感謝の気持ちを伝えていて思わず感動。そして続くカミコも泣きそうになっていて、本当に末っ子感すごいし尊いなと思いながら泣き、次の莉佳子ももはやお家芸のように泣いて、ムロも何故か泣いて、あいあいのことに触れアンジュルムの絆を感じさせてくれた。そして続く勝田さんの安定感。今回は衣装の会議に参加したらしくて、省エネとか言われたり本人も適当にやってるように見せてるけどそうやって自分のやりたい道を切り開いていく姿勢は本当にすごいと思うし尊敬できます。そしてタケちゃんもかななんも本当にしっかりしていてすごい、武道館でも物怖じせずグループをまとめている姿に感動しました。次回のチケットは秒で売り切れるらしいので気をつけましょう。そしてあやちょの変わるもの 変わらないものに対する話は本当に永久保存したいレベル。アンジュルム全体としてもそうだけど特にあやちょは思ってることを全てちゃんと話す感じがしてすごい。ある意味ネガティブで普通のアイドルは言わないようなことも言えるのがすごい。今まではアンジュルムスマイレージは別物だと思っていて、ライブでスマの曲になった時に盛り上がるのにあんまいい印象を持てなかった、けど今回のツアーを通してあやちょ本人のグループに対する姿勢や気持ちは常に変わらないと言うことがわかったという話でした(簡単にまとめると)。そのあとの締め方も実にあやちょらしかった。ブルーレイ買います。

・そのあとは新曲、「ナミダイロノケツイ」これは誰か卒業したりした時にやられたら泣くだろうなーって感じ。またはあいあいに向けた曲な気もした。けど歌詞に「泣かないって決めた」って何回も出てきて、直前にみんな泣いてたので少し笑ってしまった(笑)けど目をうるうるさせながら歌う上國料の尊さの前には何も思うまい。

・そして最後は「友よ」もはやラストの定番になりつつありますね。この曲歌う時のアンジュルムは楽しそうで本当に最高。気持ちよくライブが終わる気がします。

 

なんだか想定の数倍の文章になってしまいましたがこんな感じで最高のライブでした。

今回は誰の卒業もなかったので、ある意味ライブ自体に集中できたし、とても爽快感があるライブでした。3,4,5期のメンバーは誰かいなくなるのかってくらい最後は泣いてたし、それだけ全力なんだなって思えて今後もアンジュルムを応援したくなりました。対して1,2期のメンバーは本当に自信に満ち溢れていて、今後もまだまだ楽しませてくれるという期待をさせてくれました。僕は今後も永遠にアンジュルムを応援していこうと思います。次回はあいあいも一緒に、チケットも即日完売できることを1ファンとして願ってます。

 

今回はこのライブについて書きましたが、いずれアイドル自体の魅力について書きたいなーとか思っています。それではここらへんで。

(3146文字)

SNSと自由と責任

こんにちは、inarixです。

今回はこのご時世誰しもが利用したことが一度はあるであろうSNSについて自分の考えを書きたいと思う。

今や大人だけでなく、中高生、もしかしたら小学生すらSNSを利用している時代だ(身近にその年齢層がいないためわからないが)。SNSが身近になればなるほど、ネットの恐ろしさというものが薄れている気がする。だが実際はむしろ、恐ろしさ自体も身近なモノに変わりつつあると感じている。

具体的な話をすると、今までのネットの恐ろしさと言うのは"得体の知れない誰か"に情報が漏れたり、悪用されたり、または間違った情報やウイルスなどをつかまされると言った部分が大きかったと思う。だが、SNSが普及した今、そのような事と同等かそれ以上に恐ろしいのはフォローフォロワー同士の身内での情報の危うさだと感じる。今までのネットでは自分から情報を発信すると言う機会は非常に限られていたし、それ故に情報を流す際は相当慎重になったはずだ。だが昨今のTwitterInstagramなどは、日常に溶け込み、つぶやき感覚で投稿をすると言う文化が根付いている。だからこそ、その情報発信には細心の注意を払うべきだと思うのだ。

我々がSNSで発信する情報は、我々の印象に直結する。つまり、愚痴ばかり投稿していれば愚痴っぽい人。遊んだ報告ばかりしていれば遊び人。就活やインターンに関する投稿ばかりしていれば意識高い系。と言った具合にレッテルが貼られてしまうし、どんなに色眼鏡を外そうとしても日頃からSNSをチェックしていれば情報は自ずと入ってきて、レッテルとなる。SNSは情報をじっくり吟味するのでなく、流し見すると言うところに危険性が潜んでいると感じる。知らず知らずのうちに自分の気軽な発言により自分自身の印象を作り上げてしまっているのだ(良くも悪くも)。発信する本人が思っている以上に自分の投稿は"見られている"し、実際の意図とは違っても見ている人たちはその情報だけで判断してしまうことがしばしばある。一時のイライラで愚痴をツイートすることが何回か有れば、愚痴っぽい人間だと思われる可能性があると言うことだ。

また、自分が実際にSNSをやっていて感じることは、圧倒的に想像力が欠如したユーザーが多いと言うことだ(それは自分自身も例に漏れないかもしれないが)。先ほどは大まかに愚痴と言ったが、特にデリケートな問題への一方的な意見や、ネガティヴな意見などが散見される。ここで考えておきたいのは一般的な使い方をしていればSNSには不特定ではなくとも、多数の人間がフォロワーとして存在している。その中でデリケートな話題、例えば金や家庭環境など、自分の知っている世界だけでは語れない問題だ。自分が有識者であると言うならば話は変わってくるが、そのようなデリケートな話題をに気安く触れるのは明らかにリスキーである、自分にとっても周りを傷つけると言う可能性においても。そう言う傾向にあるユーザーは、嫌ならば見なければ良いなどという事をのたまったりするが、SNSはブログやサイトとは違う。わざわざフォローフォロワーの関係にあるのにそのようなスタンスでは本末転倒ではないだろうか?また、周りからどう思われてもいいと言う可能性もあるが、周りからどう思われてもいい人間が敢えて繋がりが重要となるSNSで情報を発信するだろうか?

さて、ここまでの考え踏まえて自分はどうしているかと言う話をしたい。筆者はTwitterを例に挙げると基本的にはラフな話題、特に重要性のない内容になるように心がけている。仮に多様な意見があるよう話題に触れる際は細心の注意を払い、一方的にならないよう心がける、時にはユーモアも含めて。また、アカウントを使い分け、フォロワーがある程度意見を共有しているアカウントではクリティカルな発言や一方的な発言をする事によってある意味SNSの楽しさは味わうことができている。こう言ったことを言うと「遊びでやっているのにそんなことを考えたら疲れるじゃないか」「周りの目ばっか気にしていて自分がない」と言った意見を言われるかもしれない。だが、SNSは遊びだと思っているが情報を発信する以上は"責任は伴って当然"なのだ。それは大人である以上当然だし、子供のユーザーが増えているからこそ大人たちが指導しなければならない点であると感じる。特に今の大学生は情報の文化の発達とともに育ってきた事により"自然に"ネットに触れている。が、だからこそその使い方を見直す必要があるのではないか?と感じる。また、周りの目を気にすると言うのも当然だ。ただ、"どう見られたいか"と言うよりかは"周りにどんな影響を与えてしまうか"を一度考えてから発言している、というだけだ。

まとまりのない長文となってしまったが、SNSは有効活用すれば明らかにプラスになるが、浅はかな考えで使えば自分に害が及ぶ。この時代を生きる若者として常に向き合っていきたい問題である。またいつか意見をより洗練して投稿したいと思う。(2075文字)