留年学生

留年してしまった理系大学生の奮闘記です。

思考の海

夜は思考が溢れます。

1人で寝ようとしていると、今日思ったこと、不安な事、明日はどうしようか、朝起きたら何をしよう、そう言えばあれ調べとかないとな、、、、

昔は何も考えれず寝れてましたがここ一年くらい思考に埋もれて寝れません。心が落ち着かないというか。滝行でもすれば良いんでしょうか、、、

面白い事がしたい

自分は基本的に面白い事を考えて実行をしていたいと思っている。

自分にとって面白い事とは、主に旅行や友人と遊びに出かける事である。とはいってもそれはありきたりなことをする訳ではなく、他の人がしないような企画だったり、プランなどを使わずに1から考えるのが好きなのだ。そしてこのような企画をする上で大切だと思っているのは基本的には直感に頼り、予約などの行動を迷う前に行うという事だ。もちろん重要な事やお金が絡む事などは、落ち着いて考えるべきだが、企画面などは思いついて、それが楽しい、面白いと思えばその感性を信じて実行に移すという事が大切だと感じる。実行しなければ何も始まらない、自分の感性を信じて一歩踏み出すのが大切なのではないだろうか。

他人に期待しすぎない

自分が余計なストレスを溜めない方法として、「他人に期待しすぎない」というポリシーを持っている。特に集団行動などをする際にはどうしても不快な言動をする者や、ウマの合わない者も出てくる。だがそこで衝突してもしょうがない。そこで余計なストレスを感じない為に、そもそも他人なんかに期待しなければ良いと思っている。例えば任せた仕事を全然やってくれない人がいたとする。だがそもそもその人に期待を寄せていなければ不快に思うことはない。やってくれないだろうくらいに思っておけば自分でリカバリーして、事なきを得られるだろう。また、自分や周囲に不快な言動をする者がいたとする。だとしてもその相手が周りを気遣えるだろうという期待すらしなければ、どんな言動をしていても気にならないだろう。

信頼を寄せる人に心無いことを言われれば傷付くが、全く赤の他人からの誹謗中傷は気にしなければ気にならないものだ。これと同じ理屈で、自分を不快にさせてくるような他人には、そもそもなんの期待も信頼も寄せなければ良いのだ。

 

人のふり見て我がふり直せ

タイトルのこの言葉は非常に深いと思う。

ことわざというのは日本に古くから伝えられているだけあって、当たり前だけど意外と忘れがちなこと、わかっているようでちゃんとできてないことなどを的確に言い表しているようで素晴らしいと思う。

何かを批判する。そのような時に忘れてはならないのは自分も同じような批判の目に晒すことじゃないだろうか。ただ相手だけを見て批判する。それでは一方的な議論すぎる、自分はどうなのか、批判していることを自分はしていないのか?

その時はしていないと思うかもしれない。だが、本当にそうか?自分はしてないつもりでも誰かはされていると感じているのではないか?自分がしている批判と同じ批判の目を自分に対して持つ人が周りにいないとは限らない。

 

行動を起こすことの大切さ

こんにちは。なんだかんだ身バレが怖いのでハンドルネーム変えようと思います。

 

さて、意外とブログ毎日書くのって難しいですね。割と書きたいことはあるのですが、タイミングやら内容がまとまらなかったりしてなかなか書けませんでした。

 

で、今回はそもそもこのようになにかを継続したりする上で大切だと最近感じることを書きます。

 

自分は物事を継続することが本当に苦手で、三日坊主どころか1日で終わってしまうこともよくあります。大学での勉強は継続的に積み重ねるのが大切で、継続が苦手な自分にはかなり苦痛です。結果として単位を大量に落とし2回留年しています。そして僕のような人間が継続が苦手な理由として、以下のようなことが挙げられると思います。

・まずやる気が起きない、最初の一歩が踏み出せない

・やるならちゃんとやらなくてはいけないという考えが重圧になり投げ出す

・毎日やるという先のことまで考えすぎて面倒になる

とりあえず三つ書きましたが、結局は全部同じようなことだと思います。つまり"最初の行動が起こせない"んです。どんな面倒なことでも、最初の行動を起こしていけば意外とスラスラ進むことはよくあると思います。行動を起こさなければ進歩は0。だけどクオリティは低くても行動を起こし続けていれば1歩ずつでも進めているわけです。例えば必修の科目の勉強、直前にやっても無理だから早めにやっておきたい、けど例えば毎日30分やるって考えたら気が重くなります。何でとりあえず成果はほとんどなくても教科書を開いて問題を1問だけみる。から始めれば少しは行動が起こしやすくなるんじゃないかと最近思っています。まあ、前からわかっていたと言えばそうなんですが何となくわかっているのも実体験から感じ取るのではわけが違います。

なので、ブログも短くても内容がごちゃついててもいいので毎日書いていけたらなーと思います。ツイッターは毎日何十ツイートかしてるんで余裕だと思いますね。。。

空虚な自分

どうも、inarixです。

最近人生の先行きが不安すぎて辛いです。ここまでの人生、高校入試、大学入試が大きな山場だったわけですが、自分は難なく突破してきました。そして地元ではそれなりに有名な公立高校に通い無事国立理系大学に入学。これだけ見れば順風満帆。そりゃ自分にはある程度才能があるんじゃ無いか?と錯覚もします。実際自分はそう思っていました。周りに比べて努力といった努力もしてこないけど結果だけが付いてくる。今後もこんな感じでやってれば全部うまくいく。そう思っていました。けど現実はそう甘くはありません。結局自分のここまでの成果は、苦手なことから逃げ続け、得意なもの、どちらかといえば向いていることだけを突き詰めて横着し続けて手に入れたものだったからです。

たとえば公立高校に入学した際も、公立の試験の傾向は、基礎問題を正確に高得点を取るというもの。私立入試に比べて応用は必要ありません。つまり基礎さえ押さえておけばあとは当日の集中力、単純な過去問演習でなんとかなる脳死ゲー。この入試は僕にハマっていました。高校入試に対して興味もない僕は試験に対するプレッシャーが人一倍薄く、当日のミスも少ない。そして繰り返しから学ぶゲーム的要素は僕の得意とするところで、適当に毎日過去問を解いていたら当日も同じノリで合格できてしまったというわけです。

そして大学入試もほぼ同じ。センター試験というのは公立高校の入試に非常に似ています。基礎さえ押さえてあとは演習。そしてなにより大学入試は、6,7割で合格できます。つまり自分は苦手な科目、英語や化学や社会。これを全部捨て、当てずっぽで4,5割取り、得意(これは厳密には違う。やる事が向いているので努力をせずとも点が取れる科目、という事。この科目達が自分にとって得意科目でないことは大学で思い知らされた。)な科目、物理や数学で9割以上をもぎ取り、結果として平均を6,7割にならすという博打的な入試の受け方で合格をもぎ取った。これこそ入試に対する努力が薄いゆえの重圧のなさが可能にした結果である。努力や思い入れがないため成功するというのは皮肉なものである。

そして大学。自分は2留している。なぜこんなことになったのか、自分ではよくわかっている。それは一番は"コンスタントに努力ができないから"である。さらにいえば"勉強の仕方を、全く知らないから"である。自分は気持ちが入っている日でもない限り自分から机に向かうのは困難であるし、机に向かったところで誰かに教えてもらわなければ勉強することもままならない。中高生の頃は塾などのバックアップもあったし、先生に教えてもらいやすい環境でもあった。そしてなにより扱っている内容が簡単であった。これはつまりもともとその人間が持ちうる得意不得意でなんとかなるレベルなのであった。だが大学の勉強は才能でどうにかなるものではない。得意な人間も最低限努力をしなければいけないし、不得意ならなおさらだ。自分にはこのような能力が著しく欠如している。これはこれまでの人生、得意な事で苦手な事を隠し、改善しようとせず適当に横着に押し切ってきたからに他ならない。ここから挽回することの難しさは今、身をもって体感している。もしこの記事を自分と似たような境遇の人に読んでもらえたら自分はとても嬉しい。一定数自分のような学生は存在していると思うからだ。そしてお互い、なんとか今までの負積を払拭し、一人前の社会適合者となれる事を切に願う。

 

(読み返したら文体がめちゃくちゃですね。申し訳ありません。気持ちが落ち着いたらもう少しまとまった内容のものを書きたいです。)

気持ちの浮き沈み

こんにちは、inarixです。

今回は自分のことについて書きたいと思います。自分は現在理工系の大学に通っており、2留して現在4年目2年生と言うとんでもない状態なのですが、大学に入学して以降、さらにいえば2年目に留年してしまったあたりから精神的な浮き沈みが激しくなったような感じがしています。幼少期から中学生あたりまではネガティヴ思考気味ではありつつも生活に支障が出るほどではなく中学もちゃんと通っていました。高校では自分のネガティヴな部分に嫌気がさして来て、なるべくポジティヴに、前向きに気楽に生きようと心がけていた結果、3年間でかなり性格や基本姿勢に変化があったように感じました。友達との関わり方も、上手くなったような気がしていました。ですが、大学に入ってからというもの、授業に行かなかったり、行けなかったりすることが増えました。単純に怠惰な性格なので、今までも遅刻などは多い方だったのですが、それとは明らかに違い、目は覚めているのに布団から出ることができない、夜もなかなか寝付けないということが増えました。基本的にこういうことは試験前など、忙しかったりやることがたくさんある時に多いです。そして授業をサボったりしてしまい、そのことで自分を責め、また負のループへ沈んでいく。こんなことが増えて来ました。ですが自分としてはそういうことは周りにばれたくないし、周りの人はみんなちゃんとやってるのに自分だけこんな生活をしているわけにはいかない、とどんどん自分を追い詰めていってしまい、留年した後も大学に行けない日が続き、結果として2留しました。

今年は気持ちを入れ替え、部活も引退したので自由に使える時間が増えたため、大学にはコンスタントに通えるようにはなって来ています。ですがどうしても少し嫌なことがあったり、特に意味もなく気持ちが沈む日は未だにあります。そういう時に全てを一旦忘れてやりたいことをやったりできれば良くなるというのはわかっているのですが、課題や試験があるとそうもいかなかったりします。そこが大学の難しいところというか、自分には難しいと感じる部分でもあります。こんな性格と向き合って最近わかってきたことは、やはり追い詰められると辛くなってしまい何もしなくなってしまうので、なるべく余裕がある時にやるべきことをこなし、なるべく詰め込まないと言うことです。もともと怠惰なのでそれも難しいのですが、自分の欠点を補うためには変えていかないと行けない部分だと感じます。結局その気持ちの浮き沈みと怠惰な性格が合わさることにより、負のループを産んでいる気がするので、怠惰な部分を改善することにより、気持ちの浮き沈みがあると言う欠点を補えれば良いかなと思います。

また、留年した結果、自分と似た境遇の人にもたくさん出会い、自分だけではないんだと思うことができました。他人と比較して凹んでしまうことも多いので、なるべく他人がどうとかは気にしないように心がけています。

自分は鬱やADHDの傾向があるのかなと思うことが多いです。実際多少はあると思います、ですがそこまで重くはないと思うので、自分で向き合いながら解決していきたいと思います。今はだいぶ気持ちが沈んでいるので殴り書きのような文章になってしまいました。またいつかしっかりまとめて書きたいと思います。。では