留年学生

留年してしまった理系大学生の奮闘記です。

SNSと自由と責任

こんにちは、inarixです。

今回はこのご時世誰しもが利用したことが一度はあるであろうSNSについて自分の考えを書きたいと思う。

今や大人だけでなく、中高生、もしかしたら小学生すらSNSを利用している時代だ(身近にその年齢層がいないためわからないが)。SNSが身近になればなるほど、ネットの恐ろしさというものが薄れている気がする。だが実際はむしろ、恐ろしさ自体も身近なモノに変わりつつあると感じている。

具体的な話をすると、今までのネットの恐ろしさと言うのは"得体の知れない誰か"に情報が漏れたり、悪用されたり、または間違った情報やウイルスなどをつかまされると言った部分が大きかったと思う。だが、SNSが普及した今、そのような事と同等かそれ以上に恐ろしいのはフォローフォロワー同士の身内での情報の危うさだと感じる。今までのネットでは自分から情報を発信すると言う機会は非常に限られていたし、それ故に情報を流す際は相当慎重になったはずだ。だが昨今のTwitterInstagramなどは、日常に溶け込み、つぶやき感覚で投稿をすると言う文化が根付いている。だからこそ、その情報発信には細心の注意を払うべきだと思うのだ。

我々がSNSで発信する情報は、我々の印象に直結する。つまり、愚痴ばかり投稿していれば愚痴っぽい人。遊んだ報告ばかりしていれば遊び人。就活やインターンに関する投稿ばかりしていれば意識高い系。と言った具合にレッテルが貼られてしまうし、どんなに色眼鏡を外そうとしても日頃からSNSをチェックしていれば情報は自ずと入ってきて、レッテルとなる。SNSは情報をじっくり吟味するのでなく、流し見すると言うところに危険性が潜んでいると感じる。知らず知らずのうちに自分の気軽な発言により自分自身の印象を作り上げてしまっているのだ(良くも悪くも)。発信する本人が思っている以上に自分の投稿は"見られている"し、実際の意図とは違っても見ている人たちはその情報だけで判断してしまうことがしばしばある。一時のイライラで愚痴をツイートすることが何回か有れば、愚痴っぽい人間だと思われる可能性があると言うことだ。

また、自分が実際にSNSをやっていて感じることは、圧倒的に想像力が欠如したユーザーが多いと言うことだ(それは自分自身も例に漏れないかもしれないが)。先ほどは大まかに愚痴と言ったが、特にデリケートな問題への一方的な意見や、ネガティヴな意見などが散見される。ここで考えておきたいのは一般的な使い方をしていればSNSには不特定ではなくとも、多数の人間がフォロワーとして存在している。その中でデリケートな話題、例えば金や家庭環境など、自分の知っている世界だけでは語れない問題だ。自分が有識者であると言うならば話は変わってくるが、そのようなデリケートな話題をに気安く触れるのは明らかにリスキーである、自分にとっても周りを傷つけると言う可能性においても。そう言う傾向にあるユーザーは、嫌ならば見なければ良いなどという事をのたまったりするが、SNSはブログやサイトとは違う。わざわざフォローフォロワーの関係にあるのにそのようなスタンスでは本末転倒ではないだろうか?また、周りからどう思われてもいいと言う可能性もあるが、周りからどう思われてもいい人間が敢えて繋がりが重要となるSNSで情報を発信するだろうか?

さて、ここまでの考え踏まえて自分はどうしているかと言う話をしたい。筆者はTwitterを例に挙げると基本的にはラフな話題、特に重要性のない内容になるように心がけている。仮に多様な意見があるよう話題に触れる際は細心の注意を払い、一方的にならないよう心がける、時にはユーモアも含めて。また、アカウントを使い分け、フォロワーがある程度意見を共有しているアカウントではクリティカルな発言や一方的な発言をする事によってある意味SNSの楽しさは味わうことができている。こう言ったことを言うと「遊びでやっているのにそんなことを考えたら疲れるじゃないか」「周りの目ばっか気にしていて自分がない」と言った意見を言われるかもしれない。だが、SNSは遊びだと思っているが情報を発信する以上は"責任は伴って当然"なのだ。それは大人である以上当然だし、子供のユーザーが増えているからこそ大人たちが指導しなければならない点であると感じる。特に今の大学生は情報の文化の発達とともに育ってきた事により"自然に"ネットに触れている。が、だからこそその使い方を見直す必要があるのではないか?と感じる。また、周りの目を気にすると言うのも当然だ。ただ、"どう見られたいか"と言うよりかは"周りにどんな影響を与えてしまうか"を一度考えてから発言している、というだけだ。

まとまりのない長文となってしまったが、SNSは有効活用すれば明らかにプラスになるが、浅はかな考えで使えば自分に害が及ぶ。この時代を生きる若者として常に向き合っていきたい問題である。またいつか意見をより洗練して投稿したいと思う。(2075文字)