留年学生

留年してしまった理系大学生の奮闘記です。

‪どんな家族や友人や恋人に恵まれていても結局は自分は1人だし残りは他人でしかないし1人で生きていかなきゃいけない‬。

タイトルに内容が全て書かれてしまいました。

 

子供の頃は、親は他の大人とは違い、自分と繋がっている。血縁関係があるし長年一緒に暮らしているから、他人ではない。自分の事をわかってくれている。そう思っていました。

だけど最近そんな事もないことがわかりました、これは別に悪い意味ではなく、子供から大人になる段階において、現実を見る力がついたという事です。

親とは遺伝子も受け継いでいますが。それだけ。顔は似ているし、性格も似ているかもしれない。けどそれだけ。僕は親が子供の頃、何をしていたのか知らないし、学生時代をどのように謳歌したのかも知らない。親がどのように考え、何を感じ僕を育てたのかも、知らない。親からは様々な事を感じる。感じはするけど、"わかってる"わけじゃない。なんとなく感じるだけ。僕たちはフィクションの中の"家族だから"というような謳い文句で家族だから何か特別なものがあると勘違いしてしまうが、実際はそんな事はない。親だって僕のことをわからない事もたくさんあるし、僕だって親のことでわからない事はたくさんあるし、お互いすれ違う事もある。つまり、お互い1人の人間で、不完全なのだ。だからこそ想い合うし、それこそ家族だからすべき事である。

これは親友や恋人との関係でも同じである。むしろ親友や恋人との関係ではこのような事が普通に意識されるかもしれない、どちらかといえば家族だって他の関係性となんら変わらないという事を、最近思う。

 

どんなに辛くても、苦しくても、他人が全部自分の気持ちを理解してくれるなんてありえない。だからこそ、他人に期待しすぎてはいけない、自分の事を理解してくれる人を大切にするべき。たとえそこにすれ違いがあったとしても。逆に、自分が他人のことを完全に理解できているなんていうのは思い上がり。完全にはわかる事はあり得ないと思いながらも、理解しようと思い続ける。それが大切なのではないだろうか。