留年学生

留年してしまった理系大学生の奮闘記です。

人のふり見て我がふり直せ

タイトルのこの言葉は非常に深いと思う。

ことわざというのは日本に古くから伝えられているだけあって、当たり前だけど意外と忘れがちなこと、わかっているようでちゃんとできてないことなどを的確に言い表しているようで素晴らしいと思う。

何かを批判する。そのような時に忘れてはならないのは自分も同じような批判の目に晒すことじゃないだろうか。ただ相手だけを見て批判する。それでは一方的な議論すぎる、自分はどうなのか、批判していることを自分はしていないのか?

その時はしていないと思うかもしれない。だが、本当にそうか?自分はしてないつもりでも誰かはされていると感じているのではないか?自分がしている批判と同じ批判の目を自分に対して持つ人が周りにいないとは限らない。

 

行動を起こすことの大切さ

こんにちは。なんだかんだ身バレが怖いのでハンドルネーム変えようと思います。

 

さて、意外とブログ毎日書くのって難しいですね。割と書きたいことはあるのですが、タイミングやら内容がまとまらなかったりしてなかなか書けませんでした。

 

で、今回はそもそもこのようになにかを継続したりする上で大切だと最近感じることを書きます。

 

自分は物事を継続することが本当に苦手で、三日坊主どころか1日で終わってしまうこともよくあります。大学での勉強は継続的に積み重ねるのが大切で、継続が苦手な自分にはかなり苦痛です。結果として単位を大量に落とし2回留年しています。そして僕のような人間が継続が苦手な理由として、以下のようなことが挙げられると思います。

・まずやる気が起きない、最初の一歩が踏み出せない

・やるならちゃんとやらなくてはいけないという考えが重圧になり投げ出す

・毎日やるという先のことまで考えすぎて面倒になる

とりあえず三つ書きましたが、結局は全部同じようなことだと思います。つまり"最初の行動が起こせない"んです。どんな面倒なことでも、最初の行動を起こしていけば意外とスラスラ進むことはよくあると思います。行動を起こさなければ進歩は0。だけどクオリティは低くても行動を起こし続けていれば1歩ずつでも進めているわけです。例えば必修の科目の勉強、直前にやっても無理だから早めにやっておきたい、けど例えば毎日30分やるって考えたら気が重くなります。何でとりあえず成果はほとんどなくても教科書を開いて問題を1問だけみる。から始めれば少しは行動が起こしやすくなるんじゃないかと最近思っています。まあ、前からわかっていたと言えばそうなんですが何となくわかっているのも実体験から感じ取るのではわけが違います。

なので、ブログも短くても内容がごちゃついててもいいので毎日書いていけたらなーと思います。ツイッターは毎日何十ツイートかしてるんで余裕だと思いますね。。。

空虚な自分

どうも、inarixです。

最近人生の先行きが不安すぎて辛いです。ここまでの人生、高校入試、大学入試が大きな山場だったわけですが、自分は難なく突破してきました。そして地元ではそれなりに有名な公立高校に通い無事国立理系大学に入学。これだけ見れば順風満帆。そりゃ自分にはある程度才能があるんじゃ無いか?と錯覚もします。実際自分はそう思っていました。周りに比べて努力といった努力もしてこないけど結果だけが付いてくる。今後もこんな感じでやってれば全部うまくいく。そう思っていました。けど現実はそう甘くはありません。結局自分のここまでの成果は、苦手なことから逃げ続け、得意なもの、どちらかといえば向いていることだけを突き詰めて横着し続けて手に入れたものだったからです。

たとえば公立高校に入学した際も、公立の試験の傾向は、基礎問題を正確に高得点を取るというもの。私立入試に比べて応用は必要ありません。つまり基礎さえ押さえておけばあとは当日の集中力、単純な過去問演習でなんとかなる脳死ゲー。この入試は僕にハマっていました。高校入試に対して興味もない僕は試験に対するプレッシャーが人一倍薄く、当日のミスも少ない。そして繰り返しから学ぶゲーム的要素は僕の得意とするところで、適当に毎日過去問を解いていたら当日も同じノリで合格できてしまったというわけです。

そして大学入試もほぼ同じ。センター試験というのは公立高校の入試に非常に似ています。基礎さえ押さえてあとは演習。そしてなにより大学入試は、6,7割で合格できます。つまり自分は苦手な科目、英語や化学や社会。これを全部捨て、当てずっぽで4,5割取り、得意(これは厳密には違う。やる事が向いているので努力をせずとも点が取れる科目、という事。この科目達が自分にとって得意科目でないことは大学で思い知らされた。)な科目、物理や数学で9割以上をもぎ取り、結果として平均を6,7割にならすという博打的な入試の受け方で合格をもぎ取った。これこそ入試に対する努力が薄いゆえの重圧のなさが可能にした結果である。努力や思い入れがないため成功するというのは皮肉なものである。

そして大学。自分は2留している。なぜこんなことになったのか、自分ではよくわかっている。それは一番は"コンスタントに努力ができないから"である。さらにいえば"勉強の仕方を、全く知らないから"である。自分は気持ちが入っている日でもない限り自分から机に向かうのは困難であるし、机に向かったところで誰かに教えてもらわなければ勉強することもままならない。中高生の頃は塾などのバックアップもあったし、先生に教えてもらいやすい環境でもあった。そしてなにより扱っている内容が簡単であった。これはつまりもともとその人間が持ちうる得意不得意でなんとかなるレベルなのであった。だが大学の勉強は才能でどうにかなるものではない。得意な人間も最低限努力をしなければいけないし、不得意ならなおさらだ。自分にはこのような能力が著しく欠如している。これはこれまでの人生、得意な事で苦手な事を隠し、改善しようとせず適当に横着に押し切ってきたからに他ならない。ここから挽回することの難しさは今、身をもって体感している。もしこの記事を自分と似たような境遇の人に読んでもらえたら自分はとても嬉しい。一定数自分のような学生は存在していると思うからだ。そしてお互い、なんとか今までの負積を払拭し、一人前の社会適合者となれる事を切に願う。

 

(読み返したら文体がめちゃくちゃですね。申し訳ありません。気持ちが落ち着いたらもう少しまとまった内容のものを書きたいです。)

気持ちの浮き沈み

こんにちは、inarixです。

今回は自分のことについて書きたいと思います。自分は現在理工系の大学に通っており、2留して現在4年目2年生と言うとんでもない状態なのですが、大学に入学して以降、さらにいえば2年目に留年してしまったあたりから精神的な浮き沈みが激しくなったような感じがしています。幼少期から中学生あたりまではネガティヴ思考気味ではありつつも生活に支障が出るほどではなく中学もちゃんと通っていました。高校では自分のネガティヴな部分に嫌気がさして来て、なるべくポジティヴに、前向きに気楽に生きようと心がけていた結果、3年間でかなり性格や基本姿勢に変化があったように感じました。友達との関わり方も、上手くなったような気がしていました。ですが、大学に入ってからというもの、授業に行かなかったり、行けなかったりすることが増えました。単純に怠惰な性格なので、今までも遅刻などは多い方だったのですが、それとは明らかに違い、目は覚めているのに布団から出ることができない、夜もなかなか寝付けないということが増えました。基本的にこういうことは試験前など、忙しかったりやることがたくさんある時に多いです。そして授業をサボったりしてしまい、そのことで自分を責め、また負のループへ沈んでいく。こんなことが増えて来ました。ですが自分としてはそういうことは周りにばれたくないし、周りの人はみんなちゃんとやってるのに自分だけこんな生活をしているわけにはいかない、とどんどん自分を追い詰めていってしまい、留年した後も大学に行けない日が続き、結果として2留しました。

今年は気持ちを入れ替え、部活も引退したので自由に使える時間が増えたため、大学にはコンスタントに通えるようにはなって来ています。ですがどうしても少し嫌なことがあったり、特に意味もなく気持ちが沈む日は未だにあります。そういう時に全てを一旦忘れてやりたいことをやったりできれば良くなるというのはわかっているのですが、課題や試験があるとそうもいかなかったりします。そこが大学の難しいところというか、自分には難しいと感じる部分でもあります。こんな性格と向き合って最近わかってきたことは、やはり追い詰められると辛くなってしまい何もしなくなってしまうので、なるべく余裕がある時にやるべきことをこなし、なるべく詰め込まないと言うことです。もともと怠惰なのでそれも難しいのですが、自分の欠点を補うためには変えていかないと行けない部分だと感じます。結局その気持ちの浮き沈みと怠惰な性格が合わさることにより、負のループを産んでいる気がするので、怠惰な部分を改善することにより、気持ちの浮き沈みがあると言う欠点を補えれば良いかなと思います。

また、留年した結果、自分と似た境遇の人にもたくさん出会い、自分だけではないんだと思うことができました。他人と比較して凹んでしまうことも多いので、なるべく他人がどうとかは気にしないように心がけています。

自分は鬱やADHDの傾向があるのかなと思うことが多いです。実際多少はあると思います、ですがそこまで重くはないと思うので、自分で向き合いながら解決していきたいと思います。今はだいぶ気持ちが沈んでいるので殴り書きのような文章になってしまいました。またいつかしっかりまとめて書きたいと思います。。では

仮面ライダーアマゾンズ season2 8話

今日の0時に公開されました、アマゾンズの8話を見たので軽く思ったことを書きます。

久々の仁vs悠

season1の主題歌である「Armor zone」がかかりアマゾンアルファとアマゾンオメガの戦いが繰り広げられるアツイ始まり方。season2の主役は千翼になっているのですが、結局仮面ライダーアマゾンズという物語の主軸はこの2人ですよね。結局アマゾンズというタイトルも複数形になっている通りアマゾンたちの物語であり厳密な主役みたいなのは存在していないのかもしれませんが僕は結局悠が主役なのかな、と思います。なのでseason2では悠はサブキャラ的な立ち位置なのに違和感を感じていましたが今回で解消されました。

悲しすぎる連鎖

今回は空白の5年間、そして溶原性細胞の出生がわかりましたね。仁さんが自分を失っている間に妊娠していた七羽さん。仁さんは最早本能のままに生きるような生物になっていました、そのシーンは狂気じみていて迫力ありましたね、、なんで治ったのかはわからないんですかね?普通に自然治癒?それか汚れていたものが出たと言っていたので結局七羽さんのおかげなんでしょうかね。(オブラートに包んだ表現)そしてイユのお父さんがアマゾン化したのもあんな理由だったとは、、、あそこで指を切っていなければ、あんな簡単に感染するとは恐ろしいですね。結局は仁の判断が人間全体を守るためには最適解だったということですよね。今回は仮面ライダーらしい回だったと思います。はたから見れば自分の子を殺そうとしている仁は悪役にも見えますが、実際は適切な行動なんですよね、最後はアマゾンである自分自身も死ぬつもりなわけですし。ただそれを飲み込めない悠やイユの父、人間臭い行動ではありますが結局それは人間を追い詰めて行く結果となります。仁さんの人間を守るためには人間を捨てなくてはならないという言葉も重いですね。

結局七羽さんがアマゾン化してそれを食べたのは千翼なんですかね?千の翼、それは親の七つの羽という数字+羽の名前から由来しているんでしょうか。それにしてもそんな愛情を持って育ててくれた親とそんな別れ方をする羽目になるとは、、、イユの父も結局千翼とイユを重ねた結果イユを失うことになるわけです。そしてその千翼とイユがああいう形で関わることになるのも複雑なものですね。

次回は

次回は千翼を危険だと判断した4cが千翼を幽閉するようですね。なんだか紫色になって言って何かに変化していましたがどうなるのでしょうか?次回も重い展開となりそうです。が、アマゾンニューオメガの登場は楽しみですね!

反省

どうもinarixです。

毎日記事を書くとか言ってながら相当間が空いていました。

明日からは短くてもいいのでまた毎日書いていきたいです。

どうも継続ということが苦手な性分なので、、そういうところを改善するためにも毎日投稿には気を使っていきたいと思います。

では